がんばる女子大学生のブログ

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摂食障害体験記 10 〜入院しながら高校へ〜

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こんにちは、るん(仮)です。
今回は、摂食障害として精神科に入院しながら、高校に通うようになったことについてお話します。

一日、最初から最後まで高校へ行くことが許可

私は摂食障害と診断され、精神科に入院しました。これまでの経緯は、私の「摂食障害体験記」を1〜9まで順にお読みください。

高校の冬休み明け、約1ヶ月間は週3回程度から少しずつ回数を増やしながら昼食後から最後の授業まで高校へ行っていました。

高校へ通う、ということには電車に乗る、歩く、教室移動をする、といった運動が伴います。つまり、消費カロリーが、ずっと病院で過ごすよりも格段に上がります。ちなみに、体育の授業は、担当医から見学するように言われていたため、参加しませんでした。このような生活をしながら、体重を維持していかなければなりません。それどころか、1日中高校へ行くことができる、という治療段階、最終的には退院できるまでの体重まで増やさなければなりません。担当医からは、この先は長い戦いになるだろうと言われていました。というのも、病院食は、提供できるMAXのカロリーになっていたからです。

しかし、私は半日高校へ通う、という生活を続けながら、体重は上下繰り返しながらも、少しずつ増え、1日中高校へ行けるようになりました。母親からカロリーメイトなどをもらってカロリーを補給することはなく、病院食のみで体重を増やすことができました。

朝食、昼食問題

1日中高校へ行けるという治療段階の体重になった日、半日高校へ行けるようになった日と同じように、話し合いが行われました。

その時も最も重要項目は、食事です。朝食と昼食が病院食ではなくなるからです。朝から高校へ行くとなると、病院で8時の病院食を食べていると遅刻してしまいます。そのため、朝起き、身支度をし、母親に病院まで来てもらい、家に帰って朝食を食べてから高校へ行くことになりました。昼食は、母親が作るお弁当になりました。私の高校には学食はなく、ご飯やパン、カロリーメイトやお菓子などの自動販売機しかありません。そのため、ほとんどの人はお弁当を持参していました。私の母親は責任重大となったのです。担当の管理栄養士の方にお弁当のサイズや中身、注意するべき点を教えてもらっていました。

私は母親の作る卵焼きが大好物なので、卵焼きを多めに入れてもらいました。タンパク質としては、卵焼きのほかは、鶏肉の照り焼きや豚肉の野菜巻きが多かったです。それらに加え、野菜を少しお弁当箱に詰めます。お弁当箱のサイズは、よくある細長い二段弁当を1段にしたような大きさでした。男子高校生がよく使う平たく大きいお弁当箱のような感じです。私は、そのサイズで可愛いものを買ってもらいました。炭水化物は、食べやすいおにぎりにしてほしい、と私が言ったので、おにぎりでした。お弁当は母親が作ってくれるので、おにぎりは自分でにぎりました。毎朝、気分によってごま昆布であったり焼き鮭であったりツナマヨであったり、こぶし大の大きさのおにぎり3個作りました。

朝食は、ご飯と味噌汁と卵焼きや焼き魚などのおかずといった普通の和食でした。私は朝食を食べ、お弁当とおにぎりを持ち、バスで高校へ通いました。

このように、私の母親は、朝早く起きて、病院まで私を迎えに行き、1度家へ戻って朝食を作り、さらには私が高校が終わった後、途中まで迎えにきてくれて病院へ一緒に行ってくれました。朝、病院に母親が来る時間は6時半だったと思います。8時前には高校に行くために家を出なければいかなかったからです。母親の負担や、私の消費カロリーのことを考え、1日中高校へ行けるのは週3回から増やすことはできませんでしたが、それでも母親には相当な苦労をかけたと思います。

今回はここまでにします。次回、高校での過ごし方などをお話していきます。