がんばる女子大学生のブログ

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摂食障害体験記 3 〜摂食障害と診断された高校1年の冬〜

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こんにちは、るん(仮)です。
今回は、「摂食障害体験記 2」の続きで、摂食障害と診断されるまで、そしてその後の入院生活の始まりについてお話します。

ついに摂食障害と診断される

高校1年生の12月始め、私は両親と地元の大きな病院の精神科に行くことにしました。

なぜ病院にまた行こうと思ったかというと、なんとなく、このままだとまずいな、と思い始めていたからです。骸骨みたいな外見、生活で感じる疲労、気力のなさ・・・。もう少し、体重を戻さないといけないと感じていました。

しかし、肉と炭水化物(お米やパン)を食べることに抵抗がありました。ですので、野菜や豆腐、卵をたくさん食べるようにしました。具体的には、肉じゃがではお肉以外のじゃがいもや白滝、麻婆豆腐ではひき肉を避けて豆腐だけを食べる、といったことをしていました。
お弁当には、スープジャーを追加し、野菜のおかずをたくさん入れ、熱湯を注いでスープにし、学校へ持っていきました。

両親には、私がたくさん食べていることを知られたくありませんでした。
きっと、もっと食べなさいとしつこいほど言ってくる両親に反発する気持ちがあったのだと思います。


家での食事では、いつもよりほんの少しだけ多めの量をよそって食べました。ちなみに、中学3年生の頃から、太らないように夕食は17時くらいに食べるようにしており、その習慣は続いていました。両親は19時前後に食べていましたから、別々に食事をしていたのです。もう少し量を食べなければと思っていたこの頃、食事を終えた両親がリビングでテレビを見たりしてくつろいでいる20時前後、私は飲み物を取るためをよそおいキッチンへ行きました。そして、冷蔵庫を開けて麦茶などを取り出しつつ、残り物をパクっとパクっと食べました。速やかに食べるために、爪楊枝を持ち、パッとラップをめくったりタッパの蓋を開けたりし、サッと残り物のおかずに爪楊枝に刺して取り出すことをしていました。粗熱をとるためフライパンやお鍋のまま置いてあったおかずにも爪楊枝を刺し、お腹に詰め込みました。

塾のある日は、高校からそのまま塾に行きます。夕食は、私がコンビニなどで購入できるように、朝に母親からお金をもらっていました。実際に何を食べていたのかと言うと、家から持参したバナナや焼き芋やゆで卵、コンビニで購入した卵焼き、などです。体重を増やさなきゃと思い始める前、中学3年生から高校1年生前半は、何も食べないことが多かったです。好きなコーヒー飲料をがぶ飲みして空腹を紛らわすこともありました。

これらの、体重増やそうとしていた行動は、不思議と鮮明に覚えています。このように自分なりに努力している最中、大きな病院の精神科に行きました。


まずは外来患者として、精神科の先生とお話しました。そこで最初に言われたことは、

「このままだと、死ぬよ」でした。


「今、生命活動を維持しているのはギリギリだよ」身長160センチ、体重35キロ前後でした。この発言は、私を脅すためだとその時は思いました。今でもこれは本当のことだったのかはわかりません。ですが、「今すぐ入院したほうがいい」と言われました。

私は、まさかの入院という言葉に非常に驚きました。それだけは、と思いました。「摂食障害体験記 2」の後半で書いたように、当時の私は友達と勉強に頭が支配されていました。入院したら、友達との関係に支障が出る、私のいないところでA・B・C・D子がもっと仲良くなってしまう、学校と塾の勉強に遅れてしまう、などと考えました。

私は、泣いて拒否しました。それだけはヤダ、高校は行く、塾も行きたい、通院がいい、と何度も言いました。心の中では、今たくさん食べているから、もう少し時間が経てば徐々に身体も戻っていくから、自分でなんとかさせて、と思っていました。
しかし、当然のことながら受け入れられませんでした。
両親も、先生のこのままだと死ぬよ発言に衝撃を受け、私に入院するように言いました。

もう、私にはどうにもできません。病院を訪れたのは12月初めでしたから、今から入院し、できるだけ冬休みにかぶせるようにしようと言われました。いつ退院できるか聞くと、1ヶ月で退院できるかもしれないし、2ヶ月かかるかもしれない、体重の増加次第という返事でした。私はなんとしてでも冬休み明けに間に合わせようと強く思いました。

その後、私はA子とB子に入院することになったことを伝えました。理由は言いませんでした。2人がどのように捉えたかはわかりませんが、痩せすぎ、より、栄養が吸収できない病気だといった感じで受け止めてくれてたらいいなと思っています。担任の先生は、私が入院することについて、体調不良から少しの間入院することになったとクラスに伝えたそうです。私はその頃にはクラスで浮いた存在だったので、へーそうなんだ、という程度でクラスに全く影響はなかったものと予想します。

私は、常にトップクラスの成績を維持しており、入院することにより勉強についていけないことがどうしても嫌でした。他の人より上にいたいというわけではなく、ただ単に授業を全て理解して暗記するものは覚えたかったのです。真面目な性格で、小学校、中学校とそのように過ごしてきたからです。
そこで、A・B・C・D子の中で1番真面目だったD子に、授業のノートを写真で送ってほしいとお願いしました。A子には、塾のノートをお願いしました。2人には本当に迷惑をかけたと思っています。感謝と申し訳無さでいっぱいです。
担任の先生も、できるだけサポートする、と両親に言っていたそうです。実際、1週間に1回程度、配布されたプリント類を両親に郵送していました。
塾の先生に入院すると伝えると、理由を聞かれましたが、摂食障害とは言いたくありませんでした。痩せ過ぎた、と言いました。その塾は、とてもレベルの高いところで、私はついていくことが精一杯、時々何を言っているのかわからなくなることもありました。先生が、自分に責任があるのか、圧力のようなものをかけすぎたのか、と聞いてきたことには驚きました。私はそんなことはない、と答え、塾のプリントを送ってくれるようにお願いしました。

12月中旬、私は入院道具をボストンバッグに詰め、両親と再び病院を訪れました。

私は、摂食障害という病名で、精神科に入院しました。
私は、摂食障害なのか。
なぜ、精神科なのか。
当時の私には理解できませんでした。
精神科の病棟では、様々な入院患者がいます。当時の入院者は20人から30人でした。
認知症の老人から、突然不可解な行動をする人、本当に様々です。
監視カメラが取り付けられた病室もあり、病棟入り口には鍵がかかっており、病棟外に出る時は、患者に応じて事前に看護師に伝えるか、看護師が伴うことになっていました。外出許可がもらえた患者は、外出できます。
(これはあくまで私が入院した病院のことですので、必ずしもどこの病院もそうであるわけではないと思います。)

私はまず、一人部屋の病室に入院することになりました。
初日から、非常に辛かったです。
入院前に入院中の治療予定は説明され、覚悟していたつもりでしたが。

入院生活については、次回お話します。
長くなってしまいましたが、ここまで読んでくださりありがとうございます。